#92 五反田院長、産婦人科へ行く その4 出産完結編
“案ずるより産むが安し・・・”
昔の人はよく言ったものです。
が、立ち会いグーパンチとなると話は別です。
前回の続きで言いますと、とにかく嫁は間隔・痛みの強さ共に激しさを増す陣痛状態で、御主人の僕はといえば、ベットの足元部分に横座りしながら嫁の肛門部分を自らの右拳で押し続けているのだ。
その行為をする前に、何度も何度も助産士さんに聞き直したのは間違いありません。
『本当に妻の肛門部分をグーで押していいのですか?
グーですよグー!!』
まあ、助産士さんの方といえば、あっさりそうですと言ってLDRを出ていってしまった。
イメージしやすくすると、カップルで自転車の二人乗りをしているときの、後部座席の彼氏の腰に手を回している女の子みたいな格好が崩れた形でグーパンチですよ。
嫁の方もさすがに人生初の陣痛の痛みは相当らしく、一切笑いナシで陣痛に耐えていた。
なもんだから余計こちらももうこのグーパンチ以外は方法はない。
時より、そう30分に一度ぐらいのペースで助産士さんが子宮口の開き具合の確認の為の触診に来てくれるのだが、たしかにとにかく自然分娩となると子宮口が開くまでは妊婦にしろ産婦人科の先生方にしろどうしようもないのだ。
そこは時間との戦い・・・それは理屈ではわかっている。
ただ、こちらにしてみると、助産士さんが触診する数分の時間以外はとにもかくにもグーパンチなのだ。
もう普段自分の院のスタッフに対して
『力で押すのではない、自分の体重をうまく使うのだ・・・』
などと言ってた自分はどこへやら・・・
もう力と気合い以外のなにものでもない、理屈もへったくれもないもんだ。
ただ、そのLDRを離れている間にもその助産士さんは、忙しそうに別の陣痛室の妊婦さんの様子を診たり、先生と打ち合わせをしたりと、まったく休んでいる様子はない。
その上、嫁のLDRに来たときには必ず笑顔を絶やさない。
なんとなく、今立ち会い出産自体が増えているのは、単純に産婦人科自体の人手不足という現実問題がある気がした。
ひと昔前のように、一人の妊婦に一人の助産士がずっとつきっきりという訳にはいかない。そばにいて励まし身体を少しでも楽にさせてあげるのは右も左も解らぬ亭主でも十分なはずだ。
そして改めて、助産士という仕事の偉大さを感じた。
そして、右腕の感覚がほぼ無くなりだし、病室のブラインドの外から朝日が洩れ始めた早朝5時過ぎ、やっと子宮口が全部開ききったようで、ようやくそのグーパンチから解放される瞬間がやってきた。
助産士さんの方からベッドを分娩台にセットし直すので、一度私は退室することになった。
この状況で以前だと廊下を歩いて移動しなければならなかった事を考えると本当にいい時代になったものだ。
そしていよいよファイナルステージの扉が開いた。
そこで目の当たりにした光景がテレビなどでもよく観る光景そのものであった。
嫁は足を開いた状態で下半身を手術用の緑のシートで覆われており、助産士さん始め、ついに登場した産婦人科の先生も例の手術着に身を包んで立っていた。
“これこれ、これだよ立ち会い出産ってのは!!
グーパンチじゃないでしょ!!
ようやく目にした待ち望んでいた光景にこちらも興奮を隠しきれなかったが、すぐに嫁の頭側への移動を命ぜられた。
ここからのシーンは本当に今思い出しても壮絶な光景であった。
あくまで個人的な感想なのだが、神秘的な感じは少なくとも私は一切感じなかった。
あるのはただ単純な“産み落とす”という行為のみ。
人間も所詮ただの動物であるのを感じられた時間でもあった。
よくわからないが、後半はもうずっと泣いていた。
悲しいとか感動とかではない、ただただシンプルに目の前の光景を自分の脳に正しくインプットするために、冷静さを保つためのアウトプットとして涙を流していた感じだ。
そしてついにその時はやってきた。
2008年6月20日午前7時34分
無事長男が誕生した。
良いも悪いもこの立ち会い出産の経験を経て、カイロプラクティックの仕事上、妊婦さんへの対応に変な先入観はなくなった。
神秘的でも幻想的でもない、完璧なる人間の身体の自然な行為のひとつでしかないのを体感できた。
しかしまあ、何ヶ月も書くのをためらっていた割には今回もまた長々とかいたものだと感じるとともに、今後は具体的な骨盤にまつわるコラムを書いていきたい。
くどいようだがブログではない、これはコラムなのだ。
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