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2005年12月

#43 2005年終わりの言葉

今年もいろいろな患者さんに出会い、いろいろな症状に出会ってきた。
年末になり、いつも思うことは「年々増加する情報の多さ」だ。
腰痛に対する研究も益々進んでいる、年間で腰痛に関する論文だけで200万もの数が発表されている。正直、専門家であろう私でさえ追いつけないスピードだ。
だからといって古い、誤った情報が世の中から消えているわけではない。
パソコンのデータならば、新しい情報がでてきたらそれこそ“上書き保存”でOKだ。
過去の古い情報など一瞬のうちに消されてなくなってしまう。
だが、我々人間ってのは少々厄介な生き物だ。
忘れようにも忘れられない経験や記憶がある。
そして大人になればなるほど、経験や情報量が多くなればなるほど“先入観”が強くなるもの。
今後、ものすごいスピードで科学技術が進歩すれば、究極の腰痛・肩こりの治療法としてでてくるものは、

『人間の脳に直接アクセスして、痛みの神経を調整し、筋肉のコンディションも調整する』方法だろう。
アホな子供が考えるような戯言かもしれないが、おおよそ理屈で言えば確実に治るであろうし、
それほど難しい技術でもないと思う。その気になれば今の技術でも可能な気がする。
しかし、そうなってくると哲学的にも倫理的にもどうなんでしょう・・・??みたいな状態になってくる。

一昔、70歳の方を“稀”と呼んでいたが、今ではその“稀”な方々で五反田の駅前からでるNTT病院行き無料送迎バスが
満員になっているし、某、ロボットはジグザグ走行までし始めやがった、あれには正直驚愕した。
我々がおこなっている“カイロプラクティック”が生まれた100年以上前の人にしてみたら
間違いなく想像を超えた未来なのであろうが・・・

世の中に情報が増えれば増えるほど、人々は混乱し誤解し、それにより痛みが強くなったり弱くなったりもする。
ただ、これだけは言いたいのが人間の身体ってやつは今の我々が考えているほど、そんな甘っちょろい弱いもんじゃあないのですよ。
現に、最先端医療の研究で改めて思い知らされていることが

『病は“気”から』なのだから。

“痛み”も感覚のひとつ。言ってしまえば“味覚”だの他人に対する“愛情”とかと同じもの。

“ず~っと一緒にいようね・・・”
とか言ってた二人がその数年後に法廷で泥沼になったり現にしてるわけなんですから・・・

来年もこの今の世の中を、楽しく生きていきましょうや。
“カイロプラクティック”というものを使って、良くなるはずのあなたの身体を止めているものを解除していきます。
この手と、コトバを使ってね・・・

では最後にこのコトバで今年の院長コラムを締めさせていただきます。

『おもしろき こともなき世を おもしろく』

みなさま、よいお年を・・・
院長 成木海次郎

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#42 仙豆でギックリ腰はなおるのか? <後編>

前回の駄文、前編から早や2ヶ月以上が経った。月日の流れは早いものだ。
どうもお久しぶりです、大川カイロプラクティック院長の成木海次郎です。
正直、前編で止まったまんまで一番困っていたのは、やりだまに上げられていたクリリンなのではないか・・・

さて、話をようやく本題後編に突入しようと思うが、
その後のクリリン、“その後”とはとりあえずジャンプ連載終了後としてみよう、たしかクリリン
生意気にも結婚して娘までいた。まあ、前編でも述べたが彼はあくまでごくごく普通の人間。
なので生きていく為に、社会生活をしていくためには労働をしなければならない。
ここから先はもちろん作り話になるのだが、あまりにも読者目線とかけ離れても荒唐無稽なので
クリリンの天下一武道会後の就職先は営業職にでもしてみようか。

今までのやくざな異性人連中との交流を絶ち、どこそこの惑星にふらふらと行くような地に足着けぬ生活から足を洗い
地道な社会人として第一歩を踏み出したクリリン。
スーツ、と言ってもサイヤ人が着ていた戦闘用のやつではなく背広に身を包み、出社するクリリン。
しかし彼にとってその生活はあまりにも今までの生活とかけ離れていた・・・
パソコンの前に一日中座り続け、たまの外出といえば営業回りで出掛けるぐらい。
しかも、クリリンがその気になれば一瞬でチリにでもできそうな得意先の社員に対し頭を下げる日々。
かつては人類最強のポジションに君臨していたクリリンの肉体も見る見る衰えていく一途。
それでも昔の武天老師の元で修行していた辛さに比べれば・・・また家族を養わなければならないという責任感が
彼をがんばらせた、まあもともと根性はあるキャラであるわけだからね。
そんな社会人生活にも落ち着きを見せ始めたある日、それはあまりにも突然やってきた。
朝目覚めると、突然腰に激痛が走った。
なんとなく、ここのところ腰あたりが痛いなぁ、ぐらいの感覚はあったが今腰に起きている痛みはレベルが違う、違いすぎる。
とくに前日の夜になにをしたという憶えもないにもかかわらず痛みは増すばかり。

そしてクリリンは思い出す、「そうだ、“仙豆”だ!!」
痛みで立つこともままならないクリリンが這い蹲りながらやっとのおもいで手にした懐かしの“仙豆”。
いままで、どんなにボロボロに傷つき、死にかけても一瞬で回復できた“仙豆”を口にしてみた。

結果は・・・

ま、変わりませんね、何も。痛みはそのままでしょうな。

さ、ここから真面目にギックリ腰の正体を解説していこうか。
まず、なぜ“仙豆”がギックリ腰に対して何の効果もでないかと言い切れるかというと、
おさらいで“仙豆”の定義を確認しておくが前編でも書いたが
『打撲・出血・骨折などありとあらゆる外傷を治療するもの』としてあったが、
だからこそ仙豆はギックリ腰には無力なのだ、つまりギックリ腰というものは人間の身体のパーツの損傷が原因ではないのだ。
何か壊れていなるわけではないし、何かがおかしくなっているわけでもない。
クリリンの腰に起きている現象は『腰周辺の筋肉の“過”緊張状態』なのだ。
“過”緊張状態といわれてもピンとこないと思うが、この現象が身体の別の部分に起きると名前が変わる・・・
このあたりが日本語のおもしろさといいますか、日本人に腰痛や肩こりが多い原因のひとつなのであろうが
ふくらはぎ部分に起きるとなんと呼んでいますか皆さん、

『足、つった』って言いますよね、おんなじですよ起きてる現象としては。
足がつった後にふくらはぎ近辺の骨や筋肉がおかしくなって歩行不能になった人っています?
それなのに腰付近におきると急に事がややこしくなる。
ギックリ腰の正体、それは足がつるのと同じ現象が腰近辺の筋肉におきるもの。
痛みの質としては筋肉痛に近いものなのだ。
その状態を生み出してしまう要因の一番はクリリンの置かれている生活環境の変化。
ひらたく言えば、あまり好きな言い方ではないが例の“ストレス”ってやつだ。
だからと言って、変化したらなんでもかんでも悪いというわけではない。
その環境を本人が、この場合で言えばクリリンがどう思うかで身体の反応は変わってくる。
クリリンに起きているギックリ腰の治療には、その点も含めて診ていかなければならないのだ。

“ギックリ腰に対して仙豆は効果がない”

これだけ言うのに何ヶ月ひっぱっちゃったんだろうねぇ・・・
年明け、『クリリンのギックリ腰、治療編』いきましょうか。

それと、この長々とした駄文の“仙豆”の部分を“現在の整形外科的治療”と置き換えて読み直していただきたい。
もう少し、世の中の見え方が変わってくるはずだ。

さてさて、来年からは治療院のホームページ自体も新しくするのも含めて積極的に物申してくつもりです。

あいかわらず長々と、そして不定期にね・・・

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